[肌感覚」

2025.01.06 Mon

JOURNAL

2025年あけましておめでとうございます。

昨年も皆様には大変お世話になりました。

今年も、CIELOAZULはこれまで通り

ふとした時に、行ってみようと、思っていただけるお店であるように

1日1日を積み重ねていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

さてさて、お正月ちょこっとお休みをいただいている時に考えていました。昨年よく聞いた言葉として、また自分も比較的口にしていた言葉として、

「肌感覚」

という言葉が生まれ浸透したように思います。

皆様も一度は聞いたり口にしたことでしょう。

「肌感覚」

辞書によれば、

皮膚を刺激した時に生じる感覚、または物事を直感的に感じ取る能力や感覚。いわゆるセンスを意味することもある。

とのこと、、。

文字通りなら肌から味わう感覚、

またはセンス。

ということですね。

ビジネス用語としてもよく耳にしました。

株価は上がっているけれど、「肌感覚」では生活が豊かになってる気がしないなーとか。

 

つまり、目から入ってくる情報以外の感覚、ということでしょうか。

 

しかしながら、昨今の情報は

テレビ、YouTube、SNSといった目から入り込むものが溢れ、相当に重宝されていることが多いですね。

しかもネットを介したものになると、とても便利でもう手放せない情報収集手段ではあるけれど、自分が好んで見ている情報をアルゴリズムがさらにどんどん流し込んできて、慣れてしまうと、最初は自分が好んで見ていたことも忘れ、世の中の主流の情報なのかと錯覚してしますほど、巧妙に(といっては言葉が悪いのですが)さりげなく受け取らせてしまう側面があります。

例えば、ちょっとしたキーワードで調べ始めただけなのに

その後、それに関する宣伝や記事、SNSが次々とお知らせされてくるようになるなりますよね。

そんな「情報過多」の時代を何年か過ごした私たちは、今また、「肌感覚」を求め始めたように思います。

また、これまでの慣習、通例など、今までそうだったからこれからもそれが正しいに違いない、というような社会的通念や、差別的概念、家庭内の役割の偏り、医療神話、など本当にそれが正しいのだろうかと思うようになり、自分の「肌感覚」を求め始めているのかもしれません。

情報を開くと溢れかえる、「食べ物」「旅行」「体験型イベント」行かなきゃ食べなきゃ体験しなきゃととらわれていた人たちも、本当にしたいことだっただろうかと、「肌感覚」を見つめ直したとも感じ取れます。

早くにこの「肌感覚」を取り戻し、信じた人たちの「センス」は

当然すぐに戻ってきますが、

いつまでも「目からの情報」を信じ続けている人たちはもう、スマホ片手にないと人との会話も成り立たない「センス」ない人間になってしまう、恐怖、、

(皆様の周りにもいませんか?会話のキーワードが出るたびに、あ〜、といってgoogleを調べ出す人。こっちを見てなくて怖いです。)

 

それが「肌感覚」というフワッとした感覚で

取り戻そうとしていた2024年だったのかな〜

なんて思ったりしました。

「肌感覚」。

例えば「味」。どれだけメディアの情報として美味しそうでも、やっぱりいつも食べてるものや好きなお店がよかったり。

例えば「空気」。好きな場所はきっともう知っているのです。

例えば「音」。落ち着いたり気分が上がったりする音も自分のセンスに戻ります。

そして、私たちの大好きな「洋服」。

どれだけコスパが良かったり、どれだけSNSでもてはやされていても

「肌感覚」でなんとなく良いと思えない、、

やはり好きなものは変わらないし、

まさしく「肌触り」は嘘をつけません。

何よりここにこそ「肌感覚」を信じていきたいものです。

そんな2025年、皆様の「肌感覚」にかなうように、

CIELOAZULの「肌感覚」もより鋭敏に、時代にとらわれず、信じていきたいな〜と思った、今年のお正月休みでした。

皆様にとっても穏やかで平穏な一年となりますように。